ふわふわした世界で何かを言い切るということ。
ごきげんいかが?
30分残業したのちにブックオフに寄って帰ってきたそのです。どうでもいい話をします。
断定することって割とすごいなって思ってる
「◯◯は××だ」って言い切れる人って、
多分根拠がちゃんとあって、それを信じてるから言えるんだと思う。
けど、キッパリ断定する人を見るたびに「本当にそうだろうか」と思う。
例えば、「あの風船は赤い」と、赤い風船を指差してAさんが言って、Bさんが頷いたとする。
でも、Aさんにとっての「赤い」が、Bさんにとっての「青い」かもしれないし、
風船を見ているつもりが、Bさんにとってはリンゴに見えているかもしれない。
「赤い風船」が「青いリンゴ」に変わってしまうかもしれない。
ちょっと何を言っているのかわからなくなってきた。
でも認識って本当にそんなもんじゃないか。
自分が誰かの意見に「そうだね」っていうとき、必ず「そうだろうか」と考えてしまう。
自分が何かを断定するとき「そうなんだろうか」と思ってしまう。
世の中に断定できることは何一つないと思っていて、
それでも断定するのは、それが自分の認識なんだと公言するということだ。
それが自信というやつなのかもしれない。
1秒後に裏返るような断定でもいいのだろうか。
多分いいんだろうな。
自分のことを断定してみると?
事実に願望を混ぜて断定すると、もしかしたらその通りに近づくのだろうか。
私は、焼きそばを食べても歯に青のりなんか付かない。
本当だよ。
それでは。