ふわふわした世界で何かを言い切るということ。

 

ごきげんいかが?

 

30分残業したのちにブックオフに寄って帰ってきたそのです。どうでもいい話をします。

 

 

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断定することって割とすごいなって思ってる

 

「◯◯は××だ」って言い切れる人って、

多分根拠がちゃんとあって、それを信じてるから言えるんだと思う。

 

けど、キッパリ断定する人を見るたびに「本当にそうだろうか」と思う。

 

例えば、「あの風船は赤い」と、赤い風船を指差してAさんが言って、Bさんが頷いたとする。

でも、Aさんにとっての「赤い」が、Bさんにとっての「青い」かもしれないし、

風船を見ているつもりが、Bさんにとってはリンゴに見えているかもしれない。

「赤い風船」が「青いリンゴ」に変わってしまうかもしれない。

 

ちょっと何を言っているのかわからなくなってきた。

でも認識って本当にそんなもんじゃないか。

 

自分が誰かの意見に「そうだね」っていうとき、必ず「そうだろうか」と考えてしまう。

自分が何かを断定するとき「そうなんだろうか」と思ってしまう。

 

世の中に断定できることは何一つないと思っていて、

それでも断定するのは、それが自分の認識なんだと公言するということだ。

 

それが自信というやつなのかもしれない。

1秒後に裏返るような断定でもいいのだろうか。

多分いいんだろうな。

 

自分のことを断定してみると?

 

事実に願望を混ぜて断定すると、もしかしたらその通りに近づくのだろうか。

私は、焼きそばを食べても歯に青のりなんか付かない。

 

 

本当だよ。

 

 

それでは。

小分けにすると行動がスムーズになる

 

ごきげんいかが? 

 

目の疲労が激しいそのです。

 

今年やりたいこととか、目標って皆さんどうやって決めているんでしょう?

 

私の場合、今まで大きな目標を掲げては失敗を繰り返しているのですが、

そもそも目標が大き過ぎるのがいけないのではないかと思いました。

 

「小さく、たくさん」を目指すことにした

 

私が今年1月1日から気をつけていること。

「新しいことになるべくたくさん挑戦する」

 

例えば今日だったら、公園で昼ごはんにカルパスを食べたとか。

1月2日には前々から食べてみたかったサヴァ缶を買ったとか。

うろジョジョの56,57話を見たとか。

 

そんな程度のことをどんどん見つけて書いていく。

小さいことから大きなことまで幅広い分、小物を寄せ集めて嵩増しができる。

 

新しいことが積み重なると、

自分のできることの幅が広がるような気がして自己満足感が得られる予定なのである。

 

 

目標を小分けにするのは、ずぼらな人に向いている

 

私のようにずぼらな人間が一番嫌いなことって、「面倒なこと」だと思う。

 

例えば私の目標の1つに「ピンク色のナンバープレートのバイクに乗る」があります。

つまり原付二種です。理由は単純に可愛いからです。それだけです。

  

ただ、教習所に行ったりするのが大変面倒なので、とりあえずの「行動」として、

今年中に原付免許を取ることにしました。

 

比較的簡単と言われている原付免許を取る→とりあえず原付に乗る

→操作に慣れる→もっとバイクに乗りたくなる→小型二輪免許を取る

 

理想の手順としてはこんな感じですが、

どの段階まで進むかはわからないし、原付だけで満足する可能性もある。

 

でも「原付2種に乗る」という大きめの目標よりも、段々とレベルアップをしていくほうが面倒ではない。

初めの一歩にかかる労力が小さいからだ。

 

何かの行動をしないと何も進まないから、小分けにするのです。

部屋の片付けをするときに、とりあえず落ちているものを手に取ることから始めるのと同じです。

 

敵が大きいと思ったらどんどん小分けにしましょう。

行動も小分けに、カロリーも小分けに!

 

それでは。

 

自分の言葉を持ちたい

ごきげんいかが?

 

新年初仕事で、暇過ぎて半日で帰宅したそのです。

新年どこか遊びに行きましたか?どこ行っても気分で楽しめそうだよね正月は。 

 

 

自分の言葉で語るということ

 

今日読んでいて、すごくブログ(文章)を書きたくなった本。

 

自分の言葉で語る技術

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自分の言葉っていうのはオリジナルって意味じゃない。

オリジナルな言葉なんてもはや無いに等しいから。もう造語くらいしか無いから。 

 

意味としては、「自分っぽい言葉」が近いと思う。

言葉によって、その人が何に影響を受けたかって変わるもんね。

流行り物とか、好きな芸能人がよく使うフレーズとか。

 

ジョジョラーが「〜じゃあない」って言ったりするのもそうだし。知らんけど。

 

 

漠然ともやっとしていたことを解決してくれる

 

例えば、「矛盾しないように書かなければいけない」「上手に書かなければいけない」とか

そういうことを考えると文章ってどんどん誰でも書けるような物になっていくようだ。

 

正しいことは、大抵つまらない

 

この言葉は、この本に書かれている58コのコツのうちの9番目のタイトルになっている。

 

大好きな河合隼雄さんの言葉を引用してあるところが気に入ってます。

100%正しいことにはリスクがないから役に立たないと言うのは、日常会話でもブログでも同じ。

 

ちなみに河合隼雄さんというのは私の尊敬している臨床心理士です。

この人は人間の皮を被った仏様か何かだと常々思っていますが、

今この人について語ると長くなるのでやめておきます。

 

私も最近ブログを書いてるけど、他人に向けて公開するわけだから

やはり上手く書こうと思ってしまう。

それが文章に表れているのか、何となくつまらない記事が出来上がることがある。

自分で見ててつまらないのだから、他人が見たら100倍くらいつまらないだろう。

 

 

誰にも公開しない日記のように書く

 

ちょうど昨年の振り返りをしていた時、Evernoteに記録していた夏頃の日記があり

自分で言うのもおかしいけれどとても面白かった。

思いつくままに適当に書いたはずだが、考えてる時より逆に面白くなるのだから文章ってわからない。

 

わからないなりに、つまらなくない文章を書きたい。

自分自身とコントをしているみたいな。

 

 

 それでは。